「高齢者ドライバー」

25 4月 2019

高齢者ドライバー、様々な問題があることは間違いないです。2019年最近のクルマは、大変高性能になった割には安全性能が追いついていってないような・・・。確かに高齢になると、クルマの性能に運動神経がついていかないような気がしないでもないです。大体人間の目は、人が走る時速20km/hくらいの速度に合わせてできています。時速100kmなんて無理です。

さきの投稿でも述べましたが、ペダル踏み間違い事故は、高齢との関係がありません。しかし、逆走などは認知症と関係します。

池袋ペダル踏み間違い事故を考えるー誰に責任があるのか?

産経新聞系のiRONNA(いろんな)というWEB雑誌があります。ここの記事から:

運転をやめられない老人ドライバーに潜む認知症のリアル

上村直人(高知大学医学部精神科講師)

最近、高齢者の事故が全国各地で取り上げられ、その背景や対策について各方面からさまざまな領域の専門家の提言やコメントが新聞や報道、雑誌などマスコミにおいて見受けられるようになっている。筆者は、森林率84%という全国一の中山間地域を抱える高知県の地方大学病院で勤務するなか、ずいぶん以前から高齢者、特に認知症の人の自動車運転とその対策について、ジレンマを抱えながら取り組んできたつもりでいる。そこで老年精神医学を専門とする立場から、若干の私見を交えながらこの問題の課題について述べてみたい。

 その際の研究班の結論は以下のようなものである。(1)多くの認知症患者が運転を継続(2002年改正道交法後も)していること、(2)認知症患者では健常高齢ドライバーと比較して30~40%事故の危険性が増加していると考えられ、運転が危険な高齢ドライバーも免許更新に成功してしまうため、現在の制度では不十分であること、(3)認知症の原因により運転行動や交通事故の危険性に違いがみられること、(4)高齢者(認知症)の運転中止は本人のQOL(生活の質)や家族の生活にも影響が大きく、運転中断後の対策は不十分であること、であった。
したがって運転継続が危険な認知症(痴呆)ドライバーを早期に診断・発見し、尊厳ある運転中断方法を作ることが重要であり、取り組むべき課題として、(1)認知症(痴呆)患者に適した正確な運転能力評価方法の確立、(2)認知症(痴呆)患者が運転を中断しても生活できる介護保険などを利用した社会資源づくり、(3)国家的な対策と省庁横断的なさまざまな専門領域の協力体制づくりが必要である、といった内容である。

 現在さまざまな提言がなされているが、今振り返ってみても解決のための手法はほとんど変わっていないように思える。そしてたとえ高齢であっても、認知症のような病気があっても、運転免許は運転能力で評価・判断すべきである、ということである。
その後、高齢ドライバーに対する対応として、警察庁は2009年から75歳以上の高齢者の免許更新に際して、講習予備検査(認知機能検査)を導入し、記憶や判断力の低下が見られた場合は、認知症かどうかを診断する臨時適性検査を受けるよう義務付けた。このような制度は世界的にみても例がなく、充実した制度であるが、これまで認知症と診断されて免許の取り消しや停止となったケースは、65歳以上の高齢ドライバーが2014年に1600万人を超えたことを考えても、極端に少ないと言えるだろう。

 2014年6月からは医師が認知症と診断した場合、任意で都道府県公安委員会に通報を行うことが可能となり、診断書提出により運転中断や免許停止とすることも可能となっているが、この任意通報制度の利用自体もまだまだ少ないといわれている。そこで2017年の3月からは改正道路交通法の施行により、臨時適性検査の対象が大幅に拡大され、講習予備検査で認知症と疑われた場合、すべての高齢者が医師の診察を受けるようになる。
 数値的には現在年間200-300人程度が認知症かどうかの判断を警察から医師に要請されていたものが、新制度では年間6万5000人と100倍程度に著増すると予想されているが、認知症専門医の不足、行政コストの増大など懸念されている課題も多い。同時に、今回の改正はある面、認知症の早期発見・早期診断につながる可能性も大きく、一定の成果が期待されている。

それでは日本ではいったいなぜ、世界にも類のない社会制度がつくられながら、認知症の人の運転の問題がなかなか解決しにくいのかを考えてみたい。

 そもそも自動車事故による死者はほぼ毎年減り続けており、年齢層別でみれば比率は高齢者でも16―19歳の若者と大きな違いはなく、死亡事故自体の実数は40-44歳の世代が最も多いという統計データが存在する。したがって高齢者が特段事故を起こす危険な存在であるかのような報道のイメージで判断すべきではない、ということも一理あるのであろう。
 私も認知症の人=走る凶器、といったことは全く考えていない。それは、認知症とはある日突然症状が出現し、数カ月後には寝たきりになるかのようなイメージがあるのかもしれないが、認知症の原因の過半数を占めるアルツハイマー型認知症では、発症からほぼ寝たきりの状態になるまで15-20年はかかるのであり、発症直後から常に運転が危険であるとはいえないと考えられる。
また最近は認知症予防ブームとして書籍やマスコミを通じたさまざまな予防方法が宣伝されている。「○○をすれば認知症が治った」といった類と同様に、外来診療において「運転をやめるとボケてしまう、認知症になってしまう」「運転をやめるとボケが進むから、運転はリハビリとして続けさせたい」というご家族に最近よく出くわす。ご家族にとっても藁にもすがる思いからの発言であろうと思われるが、筆者は運転をやめることが直接的に認知症を発症させたり、もしくは進行のスピードを加速するとは考えていないため、やんわりと「現時点では危険ではないと感じていても、今後認知症が進行して運転継続が危険になってからでは遅い。リハビリを勧めた人や書籍が事故の賠償金を補償はしてくれない」と説明するのだが、本人や家族の顔は納得していないと感じる。まだまだこの問題については正しい情報や正解があるわけではなく、医療者側にも存在しないことが阻害要因と思われる。
また、認知症の人とその家族に運転中断を医師として勧告してきた経験から言えば、運転自体は、公共交通機関の整備が脆弱である地方都市や中山間地域では、認知症の人のみではなくその家族の通院や生活必需品の購入といった地域生活に欠かせない存在であり、生きる権利を奪われることに等しいと認識されたり、ドライブが生きがいであったり、孫の送り迎えが家族への唯一の貢献でありその役割を奪われることへの抵抗を示す方もこれまで多数経験してきた。運転をやめた後、高齢者が地域で生きていく手段や生きがいづくりをなかなか提案することが難しい点も、この問題解決を阻害する要因であろう。
また見逃せないのは自動車運転とは実にさまざまな行政領域と関係していることである。運転免許は警察庁、自動車やカーナビシステムは経済産業省、自動車保険・自賠責・道路環境は国土交通省、民間保険は金融庁、病気は厚生労働省というようにさまざまな省庁にまたがっている。そのため、これまでは運転免許というと警察庁が主導であり、他の省庁と連携が取りにくかったため、認知症と自動車運転の問題を包括的に考え、解決策をとることができなかったことは想像に難くない。

 例えば以前、認知症の人とそのご家族に事故の有無について調査を行い、気付かされたことがあった。事故を起こした認知症の人とは、スピードや右左折する場所などこと細かく助手席から指示を出す家族の場合であり、事故を起こしそうで事故がない認知症の人とは、家族が助手席からアドバイスをするにしても必要最低限で繰り返し指示を出さない傾向の人であった。
自分の経験でも、カーナビ付きの車で目的地を入力して出かけると、目的地周辺に着いたカーナビは「目的地周辺です、目的地周辺です」と繰り返し、慣れない初めての場所だとかえってパニックとなり、目的地周辺をぐるぐると回るだけでよそ見をするし、急停止をするしで事故を起こしそうな経験をしたことから、高齢者向けのカーナビなどは音声の出し方に工夫があってもいいのではないかと痛感した。いろいろな場所で講演をするたびに話をしているが、このようなカーナビはできたのだろうか? 自動運転の時代がもうすぐそこに来ているといわれているが、そこまでとは言わないまでも高齢者の老化に合わせた車造りや補助システムの工夫があってもいいと思う。
自動車は人が造った機械であり文明の所産であるのは間違いないが、それを動かすのは人間である。そして人間は高齢になると65歳以上の15%が認知症になると疫学調査でも判明している。認知症とは大脳の病気で、その原因は何種類もの病気から引き起こされるが、自動車運転の問題を考えるとき、やはり基本は認知症に対する正しい知識や対応が必要である。

 私が尊敬する医師の一人である後藤新平は明治・大正・昭和初期の医師・官僚・政治家である。その後藤が常日頃言っていた言葉に「社会施策は生物学の法則に従わなければならない」と述べている。その意味は「社会の習慣や制度は、生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって現地を知悉(ちしつ)し、状況に合わせた施政を行っていくべきである」とも解釈されている。
医師という立場であるが故に親近感から納得するのかもしれないが、認知症と自動車運転の問題解決には、単なるブームや社会問題化ではなく、もう一度基本に立ち戻り、認知症という病態を生物学的な法則という視点で経験や研究の成果を今後も積み上げ、継続していくことが大事であると考えている。昨年11月15日に安倍総理が最近多発する高齢者の事故対策を指示したと聞いている。これを機会に本当の意味での国家的な対策が、科学的研究や生物学の法則をもとに作られることを期待したい。
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この投稿のアイキャッチ画像にも「アクセル、ブレーキの踏み間違い」がイコール高齢者となっていますね。困ったなぁ。

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