大正生まれのサムライたち(出光日章丸事件)

29 7月 2017

2017年は、明治150年、大正105年、昭和92年そして、平成29年です

大正生まれの人たちは、明治、大正、昭和そして平成生まれのひとたちに比較して、不幸な時代に生きたといえるのではないでしょうか? なぜなら大正生まれの人たちは、昭和18年のころ成年に達して戦争に行った人たちが多かったからです。戦後の統計では、僅か15年の大正時代に生まれた男子は、1350万人、戦争で亡くなった人は約200万人です。

しかし同時に自分のことより人のために生きるという本当に素晴らしいことをした人々です。こんなこと日本人以外に誰ができますか?日本人の誇りです。それはどういうことかということを、石油元売り出光興産日章丸事件を取り上げてお話しします。百田尚樹さんの実話小説「海賊になった男」でも取り上げられて有名になりました。

わたしの父は大正12年生まれです

わたしの父は大正12年宮城県仙台市生まれ、仙台1中、山形高校、そして東京工業大学(応用化学)を戦争の激化で東北大学に編入転学し、通商産業省(現経済産業省)を経て海洋科学技術センター(JAMSTEC | 海洋研究開発機構)に勤務し、平成22年87歳で永眠いたしました。ひとことでいうと人のために生きた大正時代の典型のようなひとでした。

父の残した大きな仕事は、通産省時代、女性の洋服サイズの統一をしたことです。例えば女性が9号とか11号とかよく話しているじゃないですか。海洋科学技術センターでは、深海特殊潜航艇 「しんかい2000」現在はしんかい6500になっています。と波力(潮位差)発電です。当時は原発でいけいけの時代でしたから波力発電は、成功したのに顧みられることはなかったのです。当時。しかし、福島第一が発生し、みなさんが原発というのは危ないぞと思い始めたことから再生可能エネルギーがまた、注目を集め、父が始めたこのプロジェクトは山形県由良港で実証プロジェクトを完成しました(実験船かいめい)。現在は岩手県久慈市で実際に家庭に給電しています。

 

画像出典:大野一郎 故大野健一 撮影:1988年9月21日

さて、日章丸の話です

日章丸事件は1953年昭和28年に発生した事件です。わたしが生まれたのは1954年、昭和29年です。

舞台は中東のイラン。2017年中東支配を望むアメリカの目の上のタンコブ、イランです。少し前にはタカ派アフマディネジャド大統領がアメリカと対抗していましたね。

当時のイランは2017年の今と同じように世界の火薬庫でした。なぜかというと、そのころから世界最大の石油埋蔵量の国でしたが、この石油はイラン国民ではなくてイギリス政府が株を持つ石油会社「アングロ・イラニアン」が50年にわたって独占しており、イラン国民を一顧だにしなかったのです。植民地に近い扱いです。アラビアのロレンスなんていかにも未開の中東を民主化したような話ですが、みなさん騙されてはいけません、ようするに中東植民地化計画なんです。石油利権を独り占めにして母国に持ち帰る話です。その当時ロンドンの中流家庭は皆家政婦を家に駐留させ、王侯貴族のような暮らしをしていたのです。2017年、いまのアメリカの上流家庭(全国民の1% つまりトランプ家)を彷彿とさせるようなお話しです。

石油利益は全部イギリスとイギリスに手なずけられたイランの王族が吸い上げ、イラン国民は何の恩恵も受けていませんでした。これはおかしいと、モサデクという骨のあるイランの首相が、国内の石油施設の国営化に成功しました。

イギリス政府はかんかんに怒って、この土人めらがとイランを完全封鎖し、世界に向けて「イランの石油はイギリスのものなので買ってはならない」と声明を出します。当時の大英帝国は今と比べものにならない強国でどこの国も逆らえないのです。しかもアラビア海に実際に駆逐艦を派遣して、海上封鎖しました。当時パイプラインなどなく、石油はタンカーでしか運べないので、イランは有り余る石油を持ちながら、イギリスの恫喝を恐れてどこも買ってくれませんでした。

さらにイランから石油を買おうとしたイタリアの石油会社のタンカーをイギリスが拿捕するという事件も起きました。イギリスは「今後イランの石油を積み出したタンカーにありとあらゆる手段をとる」と宣言。これはものすごい恫喝で、いざとなれば拿捕だけでなく撃沈するぞと宣言したようなもの。

これで、世界の国がさらに一斉に腰が引け、イランと交渉する国さえ一切ありませんでした。イランを兵糧攻めにして、そしてさらに国力が貧しくなって、遂には民衆の不満が爆発して政権が倒れるか、あるいは政権がイギリスに全面謝罪するか択一の状況でした。いずれにしてもイランはまもなく崩壊するであろうというのがイギリスの読みでした。

英国に逆らった勇気あるイランを救え

で、日章丸事件が起きるのです。主人公は当時日本でも中堅どころの石油元売り会社「出光興産」。これは昭和28年当時68歳の出光佐三が25歳の時につくった出光商会という小さな小売店がもとですが、佐三は重役の大反対を押し切ってイランの石油を買うという決断をしました。

イランは大英帝国に逆らい、世界の石油の80%を独占していた7つの石油会社「セブンシスターズ」に逆らったら生きていけない時代でしたのに、ここにも逆らってしまったのです。佐三は「イランは大英帝国、セブンシスターズに逆らった勇気ある国だ。そして世界はこの勇気ある国を見捨てようとしている。日本が助けないでどうするのか(義を見てせざるは勇なきなり)」といい、日章丸事件を計画し、イランからの石油輸入に成功するんです。

奇跡を成し遂げたサムライたち

国交のないイランとの間で、この貿易を成功させるためのハードルの高さは、自分で本を書きながら、自分で調べながら不可能だと思いました。

これからは大正生まれのサムライの信念のある仕事です。

たとえば、海外貿易に必要なのはLC(レター・オブ・コンセント)、信用状なんですね。この信用状を銀行が出してくれないと取引ができません。

出光が依頼した東京銀行(昔は海外取引といったら全て東京銀行が仕切っていたものです。それが三菱に吸収されて三菱東京UFJ銀行となり、2017年東京の名前が三菱から消えてしまいました)も、営業部長が「国交がないし、イランの石油は大英帝国が許していない。日本政府も許さない。うちとしてもそういう国に対しては信用状は出せない」と突っぱねます。

しかし、この営業部長は、出光に「けれども信用状は非常にやっかいなもので、いくつか裏道がある。こんな風にして、こんな風にやると、うちとしても出さざるを得ない。出光さん、まさかそんなことしないだろうね」と言う。出光は心の中で「ありがとう」と思いながらこれをやり、銀行側もわかりながら信用状を出したんです。

保険の問題もあります。拿捕、撃沈されれば大変な損害が出るから当然無保険では出せません。出光は当時の東京海上火災で「保険を受けてくれ」といいます。東京海上火災の担当者はすべてを聞いたあとで、それを受けるんですね。社内でも議論をまねくが、「法的に何の問題もない、受けるべきだ」と彼は頑として通したんです。

一番やっかいな問題はドルです。そのころのドルは、貴重な外貨ですから、国が認めないと使えません。国もドルを代償に得る品物が日本国民のためになるかを見極めないと認めなかったんです。イランとの交渉にも国際決済通貨として当然ドルが必要です(今は日本の縁が国際決済通貨になっています)。しかし、当時の通産省の官僚は「世界の国が英国の恫喝に屈してイランを見捨てようとしています。もし日本の企業がイランの石油を買うとするなら出光さんしかない。わかった」とこれを認めます。皆サムライなんです。自分の現在の地位を捨てても日本のために一肌脱ぐんです。

 大正時代の男たち

わずか15年しかない大正時代に生まれた男は1350万人ですが、このうち約200万人が戦死します。だいたい6・4人に1人が死んでいる計算です。これほど悲惨な世代だったのです。物心ついたときからずっと日本は戦争で、辛い暗い青春時代を過ごしたはず。みなさん自分が20歳の時を思い起こしてほしいのですが、人生で最高の時だったはずです。

でも大正時代の男たちは人生の最高の時を、地獄の戦場で過ごしました。そこで戦って、そして無事命を長らえて日本に戻ってきました。わたしの父は、国立大学(東京工業大学)の技術科(応用科学)にいたため、招集が一番最後でありました。昭和20年の夏、もう召集されるというときに終戦になりました。戦後は引退していたわたしの祖父母、自分の姉その他の人をを養うために塩の闇屋をして稼ぎました。そして警察に捕まりったとき、祖父が自分がみな悪いのだからと自ら警察に出頭し、そして結局無罪放免になったそうです。自分の身を犠牲にして人のために生きた大正の男です。平成29年の今、これを書いていて父を思い涙が出ました。

日本人はどれだけ働いたのか

昭和20年の日本はあらゆる国の中で世界最貧だったと確信しています。ところがその国が復興するのに、50年かかったでしょうか。20年もかからなかったのです。昭和39年に東京五輪を開き(航空自衛隊のF86Fブルーインパルスが東京の空に五輪の輪を描きました。わたしは港区白金台町の公務員宿舎の屋上でそれを見ました。小学五年生でした)、同じ年に時速200キロを超える高速鉄道を東京から大阪に通しました。その数年後には、GNPでイギリスを抜いて世界2位になりました。当時の日本人はどれだけ働いたのでしょうか。どれだけ働いたらこれができるのでしょうか。

わたしは2017年63歳です

これを思うと大正生まれの人々の背中に手を合わせたくなります。この人たちは、大正15年に生まれたとしても2017年の今年は105歳です。

2017年、いま63歳のわたしが思うのは、このようにして生きてきた人たちのこころを引き継いでさらに、後の世代に伝えたい思いでいっぱいです。

画像出典:Wikipedia 上段:出光石油アポロ 下段左:日章丸 右:出光佐三

 

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