御料車の歴史

01 8月 2017

御料馬車

大正元年(1912年)までは御料馬車が使われていました・・・・。勿論2017年、いまでも使用しています。

画像出典:Wikipedia 左:ケネディ駐日大使ですね。 右:皇居を走る御料馬車

勿論、皇太子ご成婚のパレードや天皇のご神事など今でも御料馬車が使われています。

画像出典:Wikipedia 左:明仁天皇のご神事 右:明仁皇太子・美智子さまご成婚パレード

初代御料車(1912~1921)

1912年(大正元年)大正天皇ご即位のときに使用されました。車種はイギリスのダイムラー・ランドレー(フロントシートは屋根があり、後部座席のみオープントップになっているタイプのもの)57.2馬力(直列6気筒エンジン)でした。このクルマはイギリス王室でも初めての御料車として選ばれたクルマであり、その信頼性を評価されての導入だったとのことです。なお、選定に関わった民間人は日本自動車(初めての外車輸入会社)の社長、大倉喜七郎(敬称略)でした。

画像出典:Wikipedia イギリス王室のジョージ5世と同型のダイムラーが御料車でした。

二代目御料車(1921~1936)

1921年(大正10年に)ロールスロイス・シルバーゴーストが御料車として2台輸入されました。この2台は、昭和天皇時代の1936年(昭和11年)まで使用されたが、1923年には裕仁親王を狙って無政府主義者により銃撃され、1台が被災車となりました。これが原因となりその後の御料車には防弾対策が用いられるようになりました。

画像出典:Wikipedia ロールスロイスシルバーゴースト

三代目御料車(1932~1968)

1932年(昭和7年)、満州事変への対応を巡りイギリスやアメリカとの関係が悪化していたため、いままで使用していたロールスロイスを止めてメルセデス・ベンツを導入しました。車種はメルセデス・ベンツ770及び770K(スーパーチャージャーつき)です。このクルマは巨大なクルマで全長5.6m、重量2.7t以上、OHV(オーバーヘッドバルブ)直列8気筒7665ccの大排気量エンジンを搭載していました。都合7台(1931年~1935年)が輸入され、うち2台は陸軍砲兵工廠で防弾装甲ボディに改造され、重量は4tを超えるものとなりました。内装は宮内庁が支給した「西陣織」が使われていました。これらの御料車は四代目、五代目が導入されたあとも引き続き使用され1968年(昭和43年)まで使用されました。

画像出典:Wikipedia この御料車はドイツの博物館に寄贈されました。

四代目御料車(1951~短期)

大東亜戦後6年経った1951年(昭和26年)、GHQ(アメリカ軍司令部)が余計なおせっかいでキャデラック75リムジンを皇室に押し付けました。所詮ガサツなアメリカ製故、メルセデスの敵ではありませんでした。このクルマはすぐに用済みになりました。皇室は依然としてメルセデスベンツ770を使い続けていました。また正式な御料車ではありませんが、1957年(昭和32年 大野註:わたしは昭和29年うまれです)には、ロールスロイスシルバーレイスが導入され、1961年(昭和36年)にはロールスロイスファントムⅤが導入されました。

画像出典:Wikipedia すぐお払い箱になったキャデラック75リムジン

画像出典:Wikipedia 左:ロールスロイスファントムⅤ 右ロールスロイスシルバーレイス

五代目御料車(1967~2004)

1967年(昭和42年)にプリンス自動車工業から納入された初の日本製御料車です。プリンス自動車工業は、惜しくも日産自動車に吸収合併されてしまいますが、プリンススカイラインを生み出した名門自動車会社です。今の関東自動車工業(トヨタ子会社)のような。内装も伝統の西陣織が多用されているそうです。7台が納入され、うち1台は葬送車両に改造されて昭和天皇の大喪の礼に使用されました。今上天皇明仁陛下では即位の礼に使用されました。

画像出典:Wikipedia プリンスロイヤル

六代目御料車(2006~2017現在)

2006年(平成18年)に六代目御料車としてトヨタ・センチュリーロイヤル標準車両1台が導入されました。2007年には防弾装甲を施した特殊車両特装車2台がさらに納入され、2008年(平成20年)には寝台車1台が追加され、全部で4台体制になりました。

 

画像出典:Wikipedia この御料車を運転されているのは専属の操縦員(宮内庁管理部車馬課の係長クラス)が運転しています。

 

動画出典:youtube

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