国産軽飛行機 エアロスバルFA200

08 8月 2017

富士重工業株式会社、現SUBARU(スバル)です。前身は中島飛行機。中島飛行機の創業者は、中島知久平(なかじま ちくへい)です。

ちょっと話が変わりますが・・・・。

北朝鮮ミサイルと広島原爆は同じ脅威

昭和20年(1945年)8月6日8時15分、広島市に原子爆弾が投下されました。これは爆撃機から投下されたものです。平成29年、北朝鮮が何回も核実験をし、またICBM(大陸間弾道弾)やスカッド、ノドンミサイルを日本海に打ち込んでいます。もし、北朝鮮が核弾頭の小型化に成功し、ミサイルの弾頭に装着して日本に打ち込んで来たらどうしますか? その脅威は既に現実のものとなっています。これは、広島・長崎の原爆投下と同じ脅威です。この脅威に憲法9条で対抗できますか?

中島知久平の中島飛行機創業の辞

中島知久平が中島飛行機研究所を創業する際に創立の辞として、残した言葉があります。ちょっと長いですが、以下、テーマは「飛行機報国」です:

(中島飛行機創業の辞)

惟に外敵に対し、皇国安定の途は富力を傾注し得ざる新兵器を基礎とする戦策発見の一つあるのみ。戦艦一隻の費を以ってせば、優に三千の飛行機を製作し得べく、その力遥かに戦艦に優れり。実に飛行機は一カ月の日をもって完成するを得。故に民営を以って行なう時は一カ年に十二回の改革を行ないうるも、官営にては僅か一回のみ。帝国の飛行機工業は官営をもって欧米先進の民営に対す。今にして民営を企立し、改めずんばついに国家の運命を如何にかせん。

(口語訳)

思うに日本の防衛はお金の掛からない新兵器を基礎とした戦い方を見つけてゆくしかない。戦艦一隻を建造するには莫大な費用がかかるけれども、飛行機なら戦艦一隻の費用で三千機が作れる。(これに魚雷を積めば)その力は戦艦よりも優れている。飛行機は1月で完成する。だから民間なら1年に12回計画を変更できる。しかし国営は1年単位の予算計画だから年1回だ。日本の飛行機工業は官営で民間企業中心の飛行機先進国の欧米と向い合っている。今、民営飛行機会社を作り官営中心の流れを変えなければ国家の運命はどうなるのだろう。

画像出典:Wikipedia 中島知久平(ナカジマ チクヘイ)

  • 生年月日:1884年(明治17年)1月1日
  • 出身地:群馬県太田市
  • 死没:1949年(昭和24年)10月10日

中島 知久平は日本の海軍軍人(海軍機関大尉)、実業家、政治家。中島飛行機の創始者として知られ、政治家に転じてからは大臣や政友会総裁を務めました。

代表的な中島飛行機製戦闘機

(陸軍 中島キ43一式戦闘機 隼 ハヤブサ)

加藤隼戦闘隊で有名な隼です。戦争後期には、エンジン(中嶋製ハ25離陸上昇馬力950馬力)性能が追いついていきませんでした。終戦まで5700機製造されました。零戦に次ぐ生産機数です。

画像出典:Wikipedia このすらっと伸びた胴体から尾翼にかけてみてください、エアロスバルの原型です。

(陸軍 中島キ84 四式戦闘機 疾風 はやて)

中島製戦闘機の集大成とも言える機体で、速度武装防弾航続距離運動性・操縦性および生産性に優れた傑作機でした。さらに、624km/h/5,000m(海面上高度)という最高速度は大戦中に実用化された日本製戦闘機の中では最速です。搭載エンジンであるハ45はハ25及びハ115(海軍名「栄」)を18気筒にしたもので、離昇馬力1800馬力でした。ハ25と同じ前面面積であり、芸術品とさえ呼ばれましたが、終戦間近になると職工(女学生学徒動員など)の質の低下によりトラブル続きになりました。

画像出典:Wikipedia 下段左:カリフォルニア州の飛行機博物館、プレーンオブフェイムでリストア(飛行できる実動機)された機体です。

なんで戦闘機のことを長々書いたかというと、つまり、戦闘機製造のノウハウがなければ造れなかったのがエアロスバルです。ただ、エンジンに関しては、隼や疾風に搭載した空冷星型エンジンの時代ではなくなっていました。仕方なくライカミングエンジンを搭載しましたが、スバルはライカミングの水平対向エンジンを研究しつくしたのですね。2017年の今、水平対向エンジンはスバルの代名詞になっています。

富士重工(中島飛行機)製低翼単発軽飛行機          エアロスバル FA200

1965年(昭和40年)初飛行、1986年(昭和61年)生産終了。試作機3機を含め299機生産されました。航空大学校(国土交通省付属)の初期課程(帯広分校)でも使用され、わたしが所有していた機体も航大払い下げのものです(JA3628)。アクロバット(曲技飛行)ができる機体でした(背面飛行は不可)。以前のブログ2017年8月6日にアップした「八尾空港小型機墜落4人死亡事故 機長を書類送検」で出てきたムーニーM20Cに比較したら格段に操縦の易しい機体でした。速度はあまり出ませんが、アクロバットもできるくらい運動性もよく、舵の効きも抜群で、楽しい機体でした。懐かしいです。

2017年の今はもうありませんが、中島飛行機の本拠地、館林飛行場から飛び立って、東北自動車道の利根川にかかる橋の上でアクロバットの練習をした思い出があります。自分の機体ではなくて、背面飛行ができるドライサンプのJA3947師匠の機体で。

画像出典:Wikipedia 栃木県航空協会レッドスバルの機体 JA3947死傷の機体です。

 

FA-200-180[編集]

  • 定員 – 4名
  • 全長 – 7.98 m
  • 全幅 – 9.42 m
  • 全高 – 2.59 m
  • 翼面積 – 14.0 m2
  • 空虚重量 – 650 kg
  • 総重量 – 1,150 kg
  • エンジン – ライカミングエンジンズ製IO-360-B1B× 1基(水平対向4気筒エンジン360キュービックインチ 約5.7リッター)
  • 出力 – 180馬力
  • 最大速度 – 230 km/h=M0.19
  • 航続時間 – 6.4 時間
  • 上昇限度 – 4,145 m

画像出典:Wikipedia 富士重工株式会社

 

 

 

動画出典:youtube

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