レベル4自動運転と究極的倫理判断

06 9月 2016

皆さまはアイロボット(I,Robot)というアメリカ映画をご存じでしょうか?黒人俳優ウイル スミス主演の2004年のハリウッドSF映画です。この映画は、近未来のロボットについて取り扱う映画ですがなかなか面白いです。内容は、ロボットの生みの親といわれる偉大な博士が、ロボット3原則に背いて感情のあるロボットを作ってしまうことから始まります。一方、ウイル スミス演じる刑事は、クルマの事故で、ロボットに救われた過去を持ちます。また、この事故の後遺症により自分の右腕は機械です。そしてこの事故のとき、ロボットが一緒に乗っていた少女(生存確率11%)よりも自分(生存確率45%)を救ったことに深い悔悟とこころの傷を負ったのです。さて、ロボットが少女よりも自分を救ったのは、<究極的倫理判断>をロボットが行ったからです。少女よりも自分の方が助かる確率が高いと判断したからです、しかし、感情的には割り切れないものが残ります。人間だから。

さて、例えば狭い道路を自動運転で走行中、車の前に子どもが飛び出してきて、対面対向車線には他車が走っている状況で「ブレーキを踏んで車を止める」では間に合わない状況だとします。さらに子供を避けるための歩道にはたくさんの歩行者が歩いているとします。自動運転車は、いったいどう判断するのでしょうか?歩行者の方の人数が多ければ、子供をそのままはねるか轢くかするのでしょうか?究極的倫理判断となるのだと思います。もし、同じ状況で人間が運転していたらどうなるのでしょうか?

勿論、自動運転が現実化すれば、全体的な交通事故数は爆発的に減少すると思われます。

今度は別の話題ですが、少し考えさせられる交通事故が発生しました。一昨日、2016年9月4日に東京都豊島区南長崎の西武池袋線の踏切で、池袋行きの急行電車が自転車をはね飛ばし、近くにいた60代男性にぶつかり男性は死亡しました。この男性は遮断機が下りた踏み切りに進入しましたが急いでいたため脱輪し、自転車を放置して退避しました。ところが運悪く自転車が自分の方に飛んできたものです。この事故を考えると勿論、この男性に責任があると思いますが、男性が亡くなる事故の直接の加害者は電車の運転士になると思われます。こうなると、これは天災ではなく交通事故ですから、どこに過失があったのか誰に責任があるのか考えさせられます。

 

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画像出典:Wikipedia

 

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映画 アイロボットより (出典:FOX映画)

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