茨城県守谷SA付近の常磐道で「あおり運転」が暴力事件に発展しました。運転者(窓を開けていた)を車外から執拗に殴りつける(動画参照)というものです。これは高速道車線内でクルマを停止させるという東名高速夫婦殺傷事件(石橋和歩被告)を思いださせるものでした。
いつ自分もこのような事件に遭遇しないとも限りません。恐怖です。
動画出典:youtube
このような「あおり運転」の運転者心理について、わたしの博士課程指導教授である志堂寺和則先生が産経新聞関係雑誌「iRONNA いろんな」に「身近に潜む「あおり運転」危険ドライバーの深層心理」というタイトルで寄稿されています。以下全文を掲載いたします:
身近に潜む「あおり運転」危険ドライバーの深層心理
志堂寺和則(九州大学大学院教授)
普段は温厚な人でも、運転になると「まるで別人のようだ」といわれる人がいる。そして、運転には人柄や性格が表れるとも言う。本稿では、最近ニュースなどでよく取り上げられる「あおり運転」の問題を中心に、車の運転とドライバーの関係について考えてみたい。
2017年6月、神奈川県大井町の東名高速で、進路を塞がれて停止させられたワゴン車に大型トラックが追突し、夫婦が死亡した。進路を塞いだ男がやっていたのは、「ロードレイジ」や「アグレッシブドライビング」と呼ばれる悪質な行為だった。
「ロードレイジ」とは、道路上の出来事で逆上することだが、激怒した結果、怒鳴ったり物を投げつけるなどして威嚇(いかく)したり、車をぶつけたり、相手を停止させて車から引きずりおろしたりといった、相手に危害を及ぼそうとする行為、あるいは実際に危害を及ぼす行為も含んでいる。海外では、口論の結果、相手を銃で撃ち殺すというような事件も度々報じられている。
一方、「アグレッシブドライビング」は、極度の速度超過、短い車間での追従、無茶な割り込み、頻繁で不必要な車線変更、意識的な信号無視、進路妨害など、故意に交通法規を破って危険な運転をする行為だ。
日本よりも早くクルマ社会となった欧米諸国でも、これら「ロードレイジ」「アグレッシブドライビング」はかなり以前から問題視されているが、有効な解決策が見いだせていないのが現状だ。
特に「あおり運転」は、車間をピタッと詰めて追走してくる、あの逃げられない恐怖感は経験するとしばらくは忘れることができない。そして、各種調査では、多くのドライバーがあおられた経験を持つことが明らかになっている。
なぜこんなことをするのかと憤り、なんとかならないのかと考えるが、その一方で自分も過去にあおり運転をやったことがあると思い出すドライバーも多いであろう。あおるという行為には、実はちょっとはずみでやってしまう危険性が潜んでいる。
このあおり運転を攻撃行動とみなし、心理学者であるダラードの「欲求不満―攻撃仮説」やバーコウィッツの「攻撃手がかり仮説」を適用すると以下のようになる。
我々の普段の生活は、次から次へと問題が発生して対応に追われ、慢性的に不満やストレスを抱えている。車に乗る直前に発生した何がしかの出来事のせいでむしゃくしゃしているようなこともある。そして車に乗って走り出すと、渋滞に巻き込まれたり、前をノロノロと走る車がいたり、不意に割り込まれたり、大したことではないのにクラクションを鳴らされたり、怒りやイライラで興奮が高まる材料があちらこちらに転がっている。
真夏には強い日差しの中でじっと運転席に座っているということすら不満の種となる。そして「欲求不満―攻撃仮説」によると、欲求不満が高まると不快な生理的興奮や怒りがもたらされ、それらを解消する手段として攻撃行動が生じる。アクション映画を見て痛快でスカッとした気分になったときのことを思い浮かべてもらうと、攻撃行動がカタルシス効果(心の浄化作用)を持っていることがわかる。
「攻撃手がかり仮説」では、欲求不満だけでなく他者からの攻撃や過去の攻撃習慣によって攻撃へのレディネス(準備状態)が高まり、攻撃を連想する手がかりが目に入ることによって攻撃行動が起きるとされる。
他車のせいでハンドル操作やペダル操作をしなければならないことや、自分の思うような運転ができない状況は、不本意ながら対応せざるを得ないという点では攻撃を受けたのと同じであり、そういう状況をもたらした他車に対して報復や制裁をという思いが生じる。
一方で、あおり運転をやっても警察に捕まったり誰かから咎(とが)められたりすることはほとんどないため、あおることは習慣化しやすい。仮説に従うと、悪いことに回数を重ねれば重ねるほど簡単にレディネスが高まるようになるとされる。
車は人を殺傷することができる武器であり、ハンドルを握っていることは銃を手にしていることと同じだ。運転をする行為そのものが攻撃行動を誘発する格好の手がかりであることは言うまでもない。標的となるのは、すぐ目の前を走っている車である。
もちろん、欲求不満が高まり興奮したからと言っても、すべてのドライバーがあおり運転をするわけではない。人の性格や生育環境はさまざまであり、欲求不満になると他の人よりも怒りが生じやすく、他人に対して攻撃的になりやすいタイプの人たちがいる。こういった人たちは、他人からの敵意を過度に感じやすいとも言われている。
意図的ではない偶然の出来事であっても、自分に向けられた悪意と思い込む「敵意帰属バイアス」がかかってしまう。そして、報復として相手を攻撃してしまうのである。怒りを鎮める方法としては相手に怒鳴ることもできるが、残念ながら車の中では怒鳴っても相手には聞こえない。運転時に手軽に行うことができる攻撃手段は相手をあおることである。
また、攻撃的な運転をする人たちは普段の生活においても他人に攻撃的である可能性が高い。運転とライフスタイルが関連していることは多くの研究で指摘されており、交通違反が多い人は交通事故も多く、そういう人たちは運転以外の社会生活においても規則を守らなかったり他人とトラブルを起こしがちであったりすることが明らかにされている。
その一方で、ハンドルを握ると豹変する人たちがいる。生まれ持った気質としては攻撃的であったり、刺激を求める欲求が強かったりするのに、普段は大人しく振る舞っている人たちであろう。現代社会では粗暴な仕草や言動は嫌われるため、われわれは小さい頃から礼儀を失しないように振る舞う教育を受けてそれが習性となっている。
自分の家の中や車の中などプライベートな空間は周囲の目を気にする必要がないため、本来の自分が出やすくなる。特に、車の場合はスピードが興奮をもたらすため、その興奮が呼び水となって、攻撃的で刺激を求める本来の自分が呼び起こされやすくなるのではないだろうか。
また、服装によって自分の気持ちや振る舞いが変わるように、運転する車によってドライバーの気持ちや運転が変わる。大きな車、スピードの出る車、高級車に乗っているような場合は、自然と車のサイズ、パワー、価格などが周囲のドライバーに対する優越感をもたらしてくれる。
運転が楽しめ、満足感が得られること自体は悪いことではなく、そういった車を所有し、運転することで生活の質が向上するのであれば歓迎すべきことだ。しかし、中にはそういった優越感から他人を下に見て自己中心的な運転を行ってしまう人たちもいる。
あおり運転に話を戻すと、あおり運転が危険で重大事故を招く可能性があることは明白だが、本人にその意識や罪悪感はまったくないのが特徴だ。自分は運転が上手いと思い込んでいることもあり、自分はいつもの車の中にいて安全と信じて疑わない。加えて、後でトラブルに発展すると想像できないことも、軽い気持ちでやってしまうことを後押ししている。
さらに、あおり運転をしてもすぐに身元がバレないことも大きい。似たような車は沢山走っているので、どこの誰だかわからないだろうと思い込んでいるドライバーは多い。匿名性が高いときに自制心が弱くなりがちであることは、ネットのトラブルで知られている通りである。
そして、すぐに逃げることができる。高速移動手段である車に乗っているので、興奮が収まれば、あるいはヤバイと思えば、あおっていた車からすぐに離れることが容易である。逃げてしまえば、報復されるようなことはない。
他にも、あおり運転を生じさせやすくしている原因はいろいろあるが、もう一つだけ付け加えるならば、相手(あおられている側)のドライバーの顔が見えないことも大きいであろう。顔が見えないために、相手がどう感じているかを想像することができず、共感による攻撃の抑制が生じにくい。
相手の様子を見て思いとどまる、適当なところでやめるといった機制が働かないのだ。人に対してというよりモノに対して接している感覚で、一方的に攻撃をしかけるということになる。
こうしたあおり運転の横行に対して、2018年1月に警察庁は、「いわゆる『あおり運転』等の悪質・危険な運転に対する厳正な対処について」を全国の警察に通達した。この通達には、悪質・危険な運転が認められた場合には、積極的に証拠資料を収集し、道路交通法違反だけでなく、危険運転致死傷罪、暴行罪などの法令を駆使して捜査の徹底を期すこと、積極的に交通指導取締りを実施すること、教育や広報啓発活動を推進することなどが指示されている。
しかしながら、諸外国も長年懸案事項としながらも有効な解決策が見いだせていない問題であり、そう簡単に解決できるとは思えない。常習者は取り締まりを多少強化したところで見つかるはずがない、捕まるわけがないと思っているであろう。
今後は、法の整備やITS(高度道路交通システム)を使った取り締まりシステムの活用、あおり運転ができない車の開発などに期待したいが、当面は自衛することが必要となる。ドライブレコーダーを設置して客観的証拠を残すようにすることは一つの手であるが、そもそもの標的とならないようきっかけを与えないことが重要だ。
あおられたドライバーは、理由もなく急にあおられたという印象を持つことが多い。しかし、気づいていないだけで実際には相手があおりたくなるなんらかの行為を行っていたであろうことがほとんどである。追い越し車線をノロノロと走っていたり、車線変更のときにちょっと危ない割り込みとなってしまったというようなことは要注意である。
前後左右、周りをしっかりと見ること、そして周囲の車に配慮を示すことが安全運転の基本であるが、現時点ではこれがあおられることを防ぐ最も有効な対策なのだ。
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クルマは包丁と同じ「凶器」です。使い方を誤れば人を殺傷することもできるのです。あまりに便利であまりに慣れ過ぎていて事故が起こった時どうなるのかという想像力が働かなくなってしまいます。
『「周囲の車に配慮を示すこと」があおられることを防ぐ最も有効な対策』・・・了解しました!!
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