スバル360と1000

18 10月 2016

  スバル360

2017年に《富士重工業》は《株式会社スバル》に変更になります。スバルとは昴です。北斗七星。そのスバルが最初に世に出したのがスバル360です。そして富士重工業の前身は、隼や疾風という陸軍正式戦闘機を生み出した『中島飛行機』です。スバル360を生み出す原動力になったのは、中島飛行機製双発爆撃機銀河の尾輪が終戦によって在庫が余っていたものを当時爆発的に売れたスクーター『ラビット』に装着したものです(ただし、飛行機の尾輪はタイア溝がついていなかったために生産3号車からは溝付きのものに変更されました)。富士重工はこのラビットのおかげで収益が増え、会社の経営が安定したためスバル360の開発ができたともいえます。

1955年、当時の通産省(現経済産業省)の『国民車構想』が新聞に報道されます。この内容は:

・4名乗車で100km/hの走行が可能(ただし、定員のうち2名は、子供OK)
・時速60kmで走行で、30km/リットルの燃費
・月産3,000台の製造能力(生産性の高い設計が前提)
・生産原価15万円で販売価格25万円以下
・排気量350 – 500cc
・走行距離の積算が10万km以上でも、大修理は必要ない
・1958年秋には生産開始できること

特に苦労したのが、トーションバー(ねじれ棒)であり、その構成は、足まわり前後ともトレーリングアーム、横置きトーションバーにセンターコイルスプリングが組み合わされています。このことで、軽量かつ小さな割にサスペンションストロークの大きな4輪独立懸架の構造を可能としました。トーションバーは日本発条(日本ばね)が製作しましたが、当初発売価格が25万円なのにトーションバー4本で4万円ととんでもない価格だったそうです。また、このトーションバーを装備すると、次の写真でもお分かりの通り後輪が特に逆ハの字になります。当時日本の道路はほとんど未舗装路ですので、サスペンションにかかる負担は、並大抵ではありませんでした。そのため試験走行を行うたびにトーションバーが破損し、設計陣は途方に暮れたといいます。

スバル360は国民車構想から生まれた傑作車です。『テントウムシ』と呼ばれました。これには理由があります。ビートルカブトムシです。ヴォルクス ヴァーゲン(VW ヴォルクスというのは英語FALKS=国民、ヴァーゲンはautomobile=クルマ 国民車です)こちらもドイツの国民車。アドルフヒットラー総統の命令を受けて、あのポルシェ911で有名なフェルディナンド ポルシェ博士が作りました。勿論こちらは排気量も大きくスバル360の兄貴分になるためにスバルはテントウムシになったのです。

rabbit_2

富士重工 スクーター『ラビット』出典:http://www.chubu-jihan.com/subaru/news_list.php?page=contents&id=8 (スバルショップ三河安城 中部自動車販売株)

normal

RICOH IMAGING

RICOH IMAGING

スバル3601958年発売 出典:https://goin.jp/2810

normal23

スバル360のスポーツタイプヤングSSの運転席 出典:https://goin.jp/2810

 yjimage1 yjimage yjimagedr7uetxt
 ドイツ国民車VWヴォルクス ヴァーゲン
<iframe width=”560″ height=”315″ src=”https://www.youtube.com/embed/CuBwU53agvk” frameborder=”0″ allowfullscreen></iframe>

 動画出典:https://www.youtube.com/watch?v=CuBwU53agvk

 

スバル1000

わたしが大学2年のとき友人が乗っていたのがスバル1000でした。何の装備もないがヒーターくらいがついていたスバル1000。しかし、水冷水平対向4気筒のエンジンは切れ目なく素晴らしいふけ上がりを見せました。速かったです。このあと1300ccにエンジンをボアアップして出てきたのがスバルff-1 1300スポーツでした。カッコよかったです。このときわたしはいすゞフローリアン1800TSというのに乗っていましたが、スバル乗りがうらやましかったです。中古で同じくらいの値段なのでスバルを買えばよかったと思いましたが、家族は内装が豪華なフローリアンが好きだったようです。さて、スバル1000は、1960年、スバル360のあとに作られました。富士重工は当時戦闘機『隼』に似た形の『エアロスバル』(FA200)という4人乗りの軽飛行機を作っていました。この飛行機は米国ライカミング社製の4気筒水平対向エンジンを搭載していました。因みに一時期アクロバット飛行のためにわたしも所有していましたが(本欄2016年8月22日『ミライはわたしの19台目のクルマです』参照)如何せんエンジンの馬力不足で大した演技はできませんでした。潤滑方式がウエットタイプ(わたしの師匠のスバルはドライサンプタイプだったので背面OKでした)だったので背面飛行ができませんでした。宙返りやロールは一瞬背面になりますが、キャブレターフロートの中にガソリンが残るので、それは問題ありませんでした。ともあれ、その流れから、搭載したときに重心を低くできる水冷水平対向エンジンをスバル1000に縦置きに搭載しました。前輪駆動の走りです。このクルマはシンプルで如何にも飛行機屋が作った素晴らしいクルマでした。このあとスバル1000から発展して1400ccのレオーネやらなんやら出ましたが、わたしはこれが一番好きです。

 

42_10%20subaru1000sportssdan_04 subaru_1300g_001

 

p6 957650

スバルff-11300Gスポーツ 運転席周り 出典:Wikipedia

 

動画出典:youtube

コメントする

お名前・メールアドレス・コメントは必須です。
メールアドレスは公開されません。

トラックバックURL