ペダル踏み間違い事故と司法判断

20 9月 2016

『ペダル踏み間違いで事故』に至り、人員の死傷を招いてしまったとき、わが国では『業務上過失致死傷罪』や『自動車運転過失致死傷罪』で裁かれ刑事罰の対象になります。
本欄でも度々とりあげたところですが、『ペダル踏み間違い事故』の責任を運転者に負わせるのはなにか理不尽なものを感じます。

確かに運転者がペダルを踏み間違ったことは、間違いがありません。しかし、自動車の方に間違いを誘発させる原因があり、一旦間違いが発生して暴走になってしまえば、人間の脳が機能不全を起こし、純粋な『生理的反応』として脳が機能不全を起こした直前の行動を継続するようになります。
すなわち、アクセルペダルを踏み続けるということとなります。

殺人犯人として有罪となり、服役した人も後で真犯人が出てくれば、冤罪として釈放されます。確かに踏み間違えたのは運転者の過失です。しかし、その後に起こる暴走は、人間の通常の『生理的反応』です。
これは予見可能でしょうか?
わが国では予見可能性について『過失傷害致死罪』を適用します。すなわち、予見できたのにそれを怠ったから事故に至り、人員を死傷させたから刑事罰をあたえるのが適当と。
しかし、わたしには、『ペダル踏み間違い事故』の真犯人は、自動車メーカーであるように見えます。

1996年6月13日 福岡空港 ガルーダインドネシア航空DC10-30 離陸中の事故

塗装は違っていますが事故機です(機体登録番号:PK-GIE) 出典:Wikipedia

塗装は違っていますが事故機です(機体登録番号:PK-GIE) 出典:Wikipedia

さて、これもわたしが現役の航空事故調査官であったときの航空事故ですが、1996年6月13日福岡空港で発生したガルーダインドネシア航空DC10-30(国際線用機体)による離陸中の事故でした。

事故概要ですが:福岡発バリ島デンパサール経由ジャカルタ行865便でした。
福岡ランウェイ16から街(内陸 南側)の方に向かって離陸中、第3エンジンに故障がおき、航空機関士は「第1エンジンフェイリア―(故障)」と叫びました。
第1エンジンは、わたしらがいうガンタレ(業界用語:不良品、屑)エンジンで度々不具合を起こしていました。だから航空機機関士はそれっ来た!とばかりに第1エンジンとコールしてしまいましたが、これは機長の離陸中止の判断の後と報告書では書かれています。
ともあれ、出発ですから燃料満載の機体重量は最大に重く、かなりアップアップの離陸になったと思います。

定期輸送用(T類)飛行機にはVスピードスケジュールというのがあり、V1(ヴィワン)という速度を超えた時点でエンジンに不具合が起こると離陸中止をしても滑走路内では停まれないため、残りのエンジンで何が何でも離陸しなければならないと規則で決まっています。
第3エンジンに故障が起こった時、V1を超え、VR(ヴィアール 機首引き起こし)のコールもありました。機長は副操縦士のコールに従ってVR速度164ノット(V1を15ノット超過)で機首をひき起こしました。機体は、約9フィート空中に浮きましたが、機長は、その後、離陸中止を決断し実行しました。
機体は滑走路内で止まり切れずオーバーランして滑走路端の市道を越えて緑地帯に擱座しました。

機長は38歳男性、飛行時間10,263時間、DC10での飛行時間2,641時間です。若いが相当なベテランです。
何故機長は、V1を超えて浮揚しているのに離陸の中止を決断したのでしょうか?

これは機長から直接聞いた話です。
以下:「”ダンッ”という音を聞き、また、機体が浮揚しなかった。操縦桿の感覚がフワフワしていて、いつも(ワンエンジン停止訓練時という意味)と感覚が違った。目の前には福岡の街が見えて、とても飛べないと直感的に感じたので離陸の中止を決断した」とのことです。

この事故の結果、乗員15名、乗客260名のうち乗員2名が重傷、1名が軽傷、乗客3名が死亡、重傷16名、軽傷151名でした。90名の乗客と、12名の乗務員は無事でした。

航空事故調査報告書の結論は、『機長がV1を15ノット超えて機体が浮揚しているにも拘わらず、離陸中止の判断をしたため発生したものであり、状況判断が適切でなかったこと』が事故の原因であるとのことでした。
また、離陸時の非常事態に対する訓練が十分に行われていなかったことが離陸中止の判断につながったとしております。

検察庁は、この事故調査報告書を鑑定書に採用し、機長を『業務上過失致死傷』で送検しました。
重傷を負ったこの機長は、怪我が癒えてから犠牲者の遺族宅に謝罪に訪れました。現在はエアバス機の機長として現役復帰をしていますが、二度と日本には来ないと話しているそうです。

ガルーダインドネシア航空福岡空港事故 出典:youtube

2000年7月25日 エールフランス4590便 超音速旅客機コンコルド

エアフランス事故機です(機体登録番号:F-BTSC 1985年7月5日、シャルル・ド・ゴール空港にて) 出典:Wikipedia

エアフランス事故機です(機体登録番号:F-BTSC 1985年7月5日、シャルル・ド・ゴール空港にて) 出典:Wikipedia

さて、ガルーダ事故との対比としての、もう一つの航空事故の話です。

2000年7月25日、エールフランス4590便超音速旅客機コンコルド、パリ シャルルドゴール空港発ニューヨーク ジョンF.ケネディ行きは、滑走路で《V1を過ぎてから》落ちていたDC10のエンジン部品を踏んだため、左側主車輪のタイアがバーストしました。

約4.5kgのタイアの破片が主翼下面の燃料タンクを直撃した結果、燃料タンクから燃料が霧状に漏れ主翼下面を伝わってエンジンに達したため第1,第2エンジンから出火しました。

4000mの滑走路26Rの約半分約2070m(VR)くらいで離陸(ガルーダDC10はV1が149ノット、VRが164ノットと15ノットしか離れていませんのでV1以降VRまではすぐに達しますが、このコンコルドの場合は、V1が150ノット、VRが199ノットと49ノットも離れており、V1からVRに達するまで約1km近く滑走しなければなりません)、管制官が出火を発見、機長に報告しています。

火はアルミ合金製の左主翼を溶かし、最後部にあるエレボン(三角翼のため補助翼と昇降舵が合体したもの。
また、三角翼は通常の飛行機にあるフラップもない)も溶け落ちて機能が失われました。

つまり、機体を傾けることも上昇降下することもできなくなりました。

そして第1、第2エンジンは離陸時に推力を失っていたため、右翼の第3、第4エンジンのみで飛び、高度約180フィート(約60m)のまま、空港から約9.5kmの位置にあるホテルに機首上げ姿勢で墜落、乗員9名乗客100名、ホテルの墜落現場付近の4名が死亡し10名が負傷しました。

コンコルドパリ事故 CG映像 出展:youtube

2つの航空事故の比較

この2つの航空事故では、ガルーダの機長は、操縦桿がフワフワした感じでとても飛べないと感じたので規則を破って離陸を中止しました。
結果、滑走路内で停止することはできませんでしたが、大部分の乗員乗客は助かりました。
さらに、この飛行機が火災を起こした理由は、擱座した機体から乗客を救出しようとした救助隊員が胴体をエンジンカッターで切った時の火花が漏れた燃料に引火したものです。このため3名の死者のうち2名が焼死しています。
緊急時ですが、もっと考えてやるべきでした。

コンコルドの方は、離陸時1エンジン不具合の訓練を十分受けていたと思います。
しかし、エンジンが近接しているため第2エンジンの出火がすぐ隣の第1エンジンに延焼しました。火災ではエンジン故障と違ってすぐには推力が落ちることはありません。
のちのDFDRの解析では、エアボーン(浮揚)したときには既に第1、第2エンジンとも推力を失っていたとのことです。

4発機で2エンジンフェイリアーの離陸訓練は世界中で誰も受けていません。勿論3発機でも同様です。ましてや双発機の場合は、全エンジン停止になるので、V1超えていても、飛べもなにもありません。従って規則でもそのような訓練を行う義務はありません。
その理由は、2つのエンジンが同時に故障することはあり得ない、天文学的確率だという楽観的な考えによるものです。それが規則にまでなってしまいました。

コンコルドの機長はエールフランスのエースキャプテン、総飛行時間13,477時間うち機長としての飛行時間は5,495時間。他のパイロットの教官兼査察操縦士です。
その綺羅星のような経歴でも、正確には何が起こっているのか把握できないまま(時間がありません)V1を超えているからと飛行を継続しました。

この判断が間違っているとはだれにもいえません。できる限りの情報、しかし、2つのエンジンフェイリア―のもと、V1を超えているから離陸を継続し、ついには墜落して地上のひとも巻き添えに113名が死亡しました。

一方、ガルーダのように1万時間の飛行時間を持つベテランパイロットが飛ぶことに不安を感じたら、離陸を中止して、それが『業務上過失致死傷』として刑事訴追を受けたら本当にやりきれません。

暴論かもしれませんが、わたしはこのガルーダのパイロットが無理に飛ばないで大部分の乗客を救ったように思われてなりません。無論、航空事故調査報告書には書けませんが。

ちなみに、ICAO(国連の下部機関、国際民間航空機構)の規則では、日本のように航空事故調査報告書を司法機関の犯罪捜査のための鑑定書に使用してはならないと取り決めています。
再発防止を願って作成する事故報告書を犯罪捜査に使われたら本末転倒です。
訴追される恐れがあったら誰も本当のことをしゃべりません。
そもそも、ほとんどの先進国では、事故の民事上の損害賠償は発生しますが、過失の性質を勘案して刑事罰は存在しません。

例えば、夏の暑い日クルマに赤ちゃんを放置してパチンコにいったために赤ちゃんが死亡したというような例は、どこの国でも刑事罰としての過失致死傷罪を科されますが、薬物やアルコールなどの影響下にはない一生懸命業務を遂行中になお、事故にあってしまったような『ペダル踏み間違い事故』や『航空事故』に刑事罰はありません。

だから外国人のパイロットが日本で事故を起こすと、会社はすぐに国外に逃がしてしまいます。警察が現場に行ったときは大抵日本にはいません。だって刑事罰に問われる恐れがあるのに、自分から進んで証言する人がいるでしょうか?

ガルーダのパイロットがすぐに逃げられなかったのは、腰骨を折る重傷を負って病院にいたからです。また、一旦帰国してから勇気を振り絞って(と思います)再来日し、犠牲者の家族に謝罪をしたのは、人間としてエライ行為だと思います。また、その後もう二度と日本には来ないといった意味もわかります。多分事故調の事故報告書がでた後だったので、警察の取り調べをうけたのだと思います。

なお、フランスは日本と少し似た国民性かもしれませんが、コンコルドが踏んだ金属片が5分前に離陸した先行機であるコンチネンタル航空DC10の第2エンジンから脱落した部品であり、しかも16日前に取り付けられたばかりか正規部品を使っていないということで、非常に悪質な整備ミスであることから、エールフランスと保険会社が損害賠償訴訟を起こし、さらにはフランス司法当局は、コンチネンタル航空を悪質整備だとして《刑事告訴》しました。コンチネンタル航空は自分の部品ではないとして争っておりましたが、その後どうなったのかについては報道がありません。
事故後の長い運航停止後コンコルドは運航再開になりましたが、2003年10月24日を以てすべて退役しました。

 

2016年8月頃、「クルマ社会を問い直す会」というところにお金をはらって入会しました。
ここで、アメリカには、薬物、アルコール、無免許などが関係しない交通事故は『過失傷害致死罪』ということが存在しないということをメール投稿したら、大阪の弁護士さんからお叱りを受けました。文明国ならそんなことはあり得ないと。
この弁護士さんはまた、『ペダル踏み間違い事故』を起こした人は、アクセルとブレーキを間違うという『ルール』を破って事故を起こしたので、十分刑事罰の対象に値するともいっておられました。
アクセルとブレーキを間違うのは、操作方法の誤りであって、ルールを破っているわけではありません。運転方法はルール(規則)ではありません。嗚呼!

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