東京湾に浮かぶ要塞人工島 第二海堡

04 3月 2021

東京湾に浮かぶ第1、第2、そして第3海堡は、明治・大正時代につくられた東京防衛の砲台群です。それらは富津市沖と横須賀市沖にあります。わたしは毎朝の散歩のときに見ています。その砲台群も今では海上交通の邪魔になっています。そのため、関東大震災で被災した第3海堡は既に解体され、上部の遺構(煉瓦製弾薬庫とか)は解体されて横須賀リビン店前の公園内に移築されています。

アメリカ海軍ペリー提督の久里浜上陸が余程怖かったのでしょう。

日本の海堡

第二海堡と第三海堡は、1923年(大正12年)9/1の関東大震災により被災し、その年のうちに廃止・除籍された。第一海堡はその後も使用され、東京湾要塞の一部として第二次世界大戦の終了時まで運用された。日本は明治から大正にかけて、陸軍大将山縣有朋大日本帝国要塞化を主張。東京湾には千葉県の富津岬沖から、神奈川県の観音崎沖側にかけて首都防衛のために3か所の人工島が造成された。完成後は、兵舎や砲台が建設され、自然島である猿島とあわせて、東京湾口に円弧状に存在する防衛ラインの一環として運用された

なおこれらの東京湾に作られた海堡は、現在は洋上要塞として機能していない上に、東京湾周辺の海上交通の輻輳から海難事故の原因と指摘されていることから、ヨット愛好家でもある石原慎太郎をはじめ、船舶運航関係者が現在も残る第二海堡の撤去を強く主張している。一方で、建設当初に堅牢に設計されたために、撤去が困難である部位を残している。

 

下の動画は、日本帝国海軍横須賀鎮守府のための旧国鉄横須賀線に乗るところから始まっており、とても興味の深いものとなっています:

動画出典:youtube

危ないのかもしれませんが、明治大正の遺構である以上残してほしいと思うのはわたしだけでしょうか?

 

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