日本人なら誰でも知っている東郷平八郎帝国海軍元帥海軍大将という偉人。記念艦として横須賀に保存されている日本帝国海軍連合艦隊旗艦三笠を率いて日露戦争を戦いました。誕生したのは鹿児島県(薩摩国鹿児島城下)の加冶屋町二本松馬場です。大久保利通や西郷隆盛の生きている時代に英国ポーツマスに留学しています(ゴスポートにある海軍予備校バーニーズアカデミーで学び、その後に商船学校のウースター協会で学ぶー以上wikipedia)。ポーツマスといえば、わたしのペダル踏み間違いの仮説理論の傍証をしてくれたのが、ポーツマス大学のジョン リーチ博士でした(トップページ、『何故運転者はアクセルを踏み続けるのか』を参照)。縁を感じます。ポーツマスでは、英国人から東郷という名前をTogo → To go China とからかわれていました(英国人は当時中国人と日本人の区別がつかないのです。また中国は知っていても日本なんて良く知らなかったでしょう)。このようなことから東郷元帥はすっかり無口になってしまったとか。わたしは、大野という名前ですが、東南アジアにいた頃は、Oh! No!(オー、ノー)とよくからかわれていたので、気持ちは良く解ります。しかし、何故かアメリカではそれはありませんでしたが。
そして、日清戦争において、停船の警告に応じないイギリスの商船「高陞号(こうしょうごう)」(清国兵1100人を輸送中 ジャーデンマセソン社所有英国船籍)を東郷艦長指揮する防護巡洋艦『浪速』が撃沈する(高陞号撃沈事件)という事件がありました。このときの東郷艦長の判断は、最後通牒発出後だったため、国際法に照らして誠に適切なものであり、後に連合艦隊司令長官に任命される遠因になったといわれています。
画像出典:Wikipedia 左:ポーツマス留学当時? 中:東郷元帥日露戦争後 右:妻テツと 1913年
画像出典:Wikipedia 高陞号撃沈事件 豊島沖海戦 事実上の日清戦争開戦
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