東郷平八郎という偉人(3)ハワイの邦人保護

02 12月 2016

アメリカという国は、もともとプロテスタント教徒がカソリック教徒からの激しい迫害を逃れて新天地を求めて作った国です。殺すか殺されるか。それは逃げますわ。わが国日本には様々な宗教が存在しますが、八百の神(やおろずのかみ)というようにお互いが共存しています。ともあれ、イギリス、スコットランドの根本には宗教対立がありました。そして原住民インディアンを虐殺し、メキシコ人からテキサス、ニューメキシコそしてカリフォルニアを略奪したのです。そして、太平洋に進出するためにハワイに狙いを定めてハワイをも略奪しました。また、白人が入植する前までは、アメリカン パイソン(バッファロー)の生息数は約6千万頭であり、また、アメリカインディアン(モンゴリアン)の経済的基盤でもありました。かれらはバッファローで生きていたのです。アメリカ人はそのバッファローをほぼ絶滅させてしまいました! その人たちの子孫が2016年の今、日本人がクジラを獲ることを野蛮な行為として非難しています。ペリーさんの時代には、アメリカ人がクジラを鯨油を取るだけのために(他の部位は全て捨てていました)乱獲していたのです。モビィディック 白鯨 を参照してください。いったいどういう考えの人たちなのでしょうか? ユダヤ人がアフリカから拉致してきた黒人を奴隷として使い、その黒人がアメリカの選挙権を得たのは、やっと東京オリンピックの年(昭和37年 1962年)でした。こういう人たちが民主主義だと、アラブの人たちは野蛮だと、どの口でいえるのでしょうか?

アメリカが急速にハワイに目を向けたのは1872年(明治5年)に米陸軍長官がホノルル港を軍事目的で調査するよう指示をしたあたりからと言われています。太平洋への覇権です。アメリカは戦艦ボストンを派遣しました。1893年1月(明治26年)、海兵隊を出動させ、ホノルルを制圧し、ボストンの主砲をイオラニ宮殿に照準させ(ペリー東インド会社北米艦隊が江戸でやった砲艦外交そのものです)、ハワイ王国第8代リリオカラニ女王は遂に屈することになります。軍隊のない国の悲しさです。そしてリリオカラニ女王は、この事件が起こる20年前に(征服者である)アメリカ人のジョン・オーウェン・ドミニスと1862年に結婚していました。

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画像出典:Wikipedia 左・中:リリオカラニ女王 右:リリオカラニ女王と1862年に結婚したアメリカ人ジョン・オーウェン・ドミニス 後のオアフ島知事。

王朝が倒れた1ヵ月後、ハワイに日本の軍艦「浪速」と「金剛」という軍艦が寄港します。ハワイには2万5000人の日本人移民がおり、生命と財産を守る目的です。王朝が倒れる1月17日付で日本とハワイの間の不平等条約改定を認める公文書に女王が署名していますから、なんらかハワイを救う目的、ハワイ王朝から援助要請があったと思われます。「浪速」と「金剛」はボストンを挟むようにして投錨しました。「抗議」する、ということです。そして浪速の艦長、東郷平八郎海軍大佐が声明を発表します。

「武力でハワイ王政を倒す暴挙が進行している。我々は危険にさらされた無辜の市民(邦人2万5千人を含む)の安全と保護に当たる」

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画像出典:Wikipedia 左:防護巡洋艦『浪速』 右:防護巡洋艦『金剛』

 そして浪速は3ヶ月滞在して引き揚げます。翌年、浪速は再びホノルルに寄港します。新政権1周年の祝いにハワイ新政府は浪速に21発の祝砲を撃つことを要請しますが、浪速は「その理由を認めず」として突っぱねました。このときも浪速の艦長は東郷平八郎海軍大佐です。それで港にいた他国の軍艦も習って祝砲を撃ちませんでした。世界の新聞は「ホノルルの港はハワイ王朝の喪に服すように静寂に包まれた」と報道しました。アメリカは赤っ恥をかいたわけです。

われらが東郷平八郎元帥は、サムライです。日本男子はかくありたいと願う所存です。

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