ポルシェ博士って何者?

26 8月 2020

ポルシェ博士って「ポルシェ」の生みの親って聞くけどどんな人なんだろ~? みなさんも興味ありませんか?

つい最近の投稿でもポルシェ9112RSという新車3700万円(2020年現在)のクルマが首都高湾岸道路東扇島付近でトヨタbBに追突し、乗っていた夫婦二人を死亡させたことがありました。

湾岸道路ポルシェ/bBの事故について(東扇島付近)こりゃ殺人事件だっ

今回はこの事故とは関係ありませんが、ポルシェ博士について調べてみたいと思います:

ドイツ人だとばかり思っていましたが、オーストリア人だったんですね。

画像出典:Wikipedia

フェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche,1875年9月3日~1951年1月30日)は、オーストリア生まれの工学者。

ナチスのアドルフ・ヒトラーが既に有名だったポルシェに国民車(ドイツ語でフォルクスワーゲン)の開発依頼をしたことで、理想の大衆車をついに実現する機会を得たのです。この時に開発されたのがビートルの愛称で親しまれ、ポルシェの代表作とも言われるフォルクスワーゲン・タイプ1です。

以降ナチスは軍用車両や戦車の開発もポルシェに依頼するようになります。ナチス党の政治理念には批判的であったポルシェですが、ナチスをスポンサーとしてシュビムワーゲンやティーガー重戦車など、ポルシェの代表作として有名な車両を数多く開発しました。皮肉にもこの功績がナチスに多大な貢献をしたとされ、戦後、戦争犯罪人としてポルシェは収容所に収監されてしまいます。

1947年に釈放されてからは健康面が優れませんでした。長男のフェリー・ポルシェによる会社運営を見守りつつ、1950年11月に息を引き取りました。享年75歳。「20世紀最高の自動車設計者」として、今もその功績は称えられています。

とまぁこんな感じの人ですが、鬼才ですね。

ポルシェ博士の軍事面での功績として一番有名なのは、おそらくドイツ軍緒戦の電撃戦に貢献した「キューベルワーゲン」です。1938(昭和13)年1月に、オフロードなどの過酷な状況に耐える軍用車を開発せよという命令がポルシェ博士に下り、作られたものです。

画像出典:Wikipedia

ところがこれに先んじること2年、日本では既にくろがね4起という不整地走行4輪駆動車が九五式小型乗用車として開発されていました。

画像出典:Wikipedia

初運用は1939(昭和14)年9月のポーランド侵攻で、実戦テストをかねてのデビューとなりました。整備性の良い空冷エンジン、リアエンジンならではの不整地走破性の高さ、その足回りを支える強靭なサスペンション。最高時速は83km/hになるにも関わらず、歩兵の行軍速度を考慮して4km/hの超低速ギアをつけるなどし、それまで各国で使われていたサイドカー付き自動二輪よりも実用性が高く、現場の評判も非常に良いものでした。同車は第2次世界大戦初期の、機械化部隊を主軸としたドイツの機動戦を支え、アメリカ軍のジープにも大きな影響を与えたといわれています。

「キューベルワーゲン」のルーツは、「KdF(カーディーエフ)ワーゲン」にあります。それはポルシェ博士が、「国民の大衆車」を想定してアドルフ・ヒトラーの要請で開発を続けていた車両で、戦後にはあの「ビートル」の愛称で親しまれた、「フォルクスワーゲン」として世に出ます。

天才的な自動車設計者だった彼の功績は、死後半世紀が経った今も世界をリードし続けています。例えば2016年11月に販売され、大ヒットとなっている日産・ノートe-POWER。その目玉と言えるシリーズ方式ハイブリッドシステムを、ポルシェ博士は第二次世界大戦時に、すでに実用化していたのです。

画像出典:Wikipedia

ポルシェが1899年に開発したインホイールモーター搭載のEV(電気自動車)です。後に航続距離を伸ばす目的で発電用のエンジンを搭載することも考案し、軍用車両などに応用されました。これは2016年に発売されたノートe-POWERのシリーズ方式ハイブリッドシステムと同一の発想です。

ポルシェ博士は、ナチスドイツ=ヒットラー総統の命で戦車も開発しました。

画像出典:Wikipedia

ティーガーは第二次世界大戦でナチスが投入した重戦車です。名付け親もポルシェ博士。ポルシェ案とヘンシェル案という2つの案が提案されており、量産された大部分の車両はヘンシェル案の車両です。ポルシェ案は試作車として一部製作されたものが存在し、量産車と区別するためポルシェ ティーガーなどと呼ばれています。最大の特徴はローナーポルシェで少し触れたシリーズ式ハイブリッドと同様のガソリンエンジンで発電し、モーターで駆動を行うシステムを採用している点です。クラッチが不要なモーターを採用することで信頼性の向上などを狙ったものでしたが、実際に走らせると電気系統などに異常が続発、信頼性の観点から正規採用は見送られ、試作車が一部生産されただけに終わりました。

超重量戦車マウスというのもありましたね:

動画出典:youtube

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偉大なひとだったんですね。シリーズハイブリッド車を1800年代に創りだしていたとは!

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