ニッサン3人の天皇(1970年代後半から1999年カルロスゴーン氏登場まで)

01 8月 2016

前回のTopicsでニッサンCEOカルロスゴーン氏について書きました。ニッサンがルノーに実質的に吸収合併の憂き目にあった話の詳細について書きます。バブルの崩壊とか急激な円高とかトヨタや他のメーカーにも同様にあったわけですから。ニッサンには労働組合という問題がありました。以下、<日産自動車には、かつて3人の「天皇」がいた。日本興業銀行(現・みずほコーポレート銀行)出身の川又克二社長(86年、81歳で死去)、生え抜きの石原俊社長(03年、91歳で死去)、自動車労連(現・日産労連)の塩路一郎会長(13年、86歳で死去)である。70年代後半からの日産は「三頭政治」と呼ばれた。川又と蜜月関係を結んだ塩路が、石原と激しく対立した。日産の凋落を招き、仏ルノーに身売りしなければならなくなった最大の原因は、3人の天皇による社内抗争にあった。日産自動車没落のA級戦犯。それは川又克二、石原俊、塩路一郎という名前の3人の天皇だった。(敬称略)(文=ビジネスジャーナル編集部2013年2月13日)>

 

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左から石原俊社長、川又克二会長、塩路一郎自動車労連会長

 

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塩路一郎氏

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川又克二氏

Japan: April 15, 1981 Tokyo Nissan motor's President ISHIHARA at Shinjyuku-gyoen Photo by Kaku Kurita

Japan: April 15, 1981 Tokyo
Nissan motor’s President ISHIHARA at Shinjyuku-gyoen
Photo by Kaku Kurita

石原俊氏

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