横須賀の明治維新150周年

06 8月 2018

明治維新後わたしたちのご先祖様は、営々とわが国日本を養ってまいりました。横須賀は明治維新ととても深い関係を持ち、その後の日清戦争、日露戦争そして大東亜戦争から敗戦へと続く本当の近代史について子供たちに教えてほしいものです。

何でも子供たちには大東亜戦争以降の日本近代史を教えていないそうです。また、わたしの親族も入っている靖国神社。何故日本の総理大臣が靖国神社に参拝してはいけないのですか?

日本兵は残虐非道だったと支那・朝鮮はことある毎にいってきます。嘘です。日本軍は世界で一番規律の厳しい軍隊でした。

さて、横須賀です。今回は横須賀鎮守府(海軍)について調べてみます:

横須賀鎮守府:

横須賀鎮守府が設置される(明治時代)

明治17年(1884)12月15日、横浜にあった海軍の東海鎮守府が横須賀に移り、横須賀鎮守府と改称され、横須賀が発展してゆく大きな契機となります。
初代長官として中牟田倉之助(なかむた くらのすけ)海軍中将が着任しました。
また、「鎮守府条例」「海軍造船所条例」により、横須賀造船所は鎮守府に属することが定められました。

明治23年(1890)に鎮守府の庁舎が建設されましたが、大正12年(1923)の関東大震災により倒壊したため、大正15年(1926)に再建されました。
この2代目鎮守府庁舎は現在、米海軍横須賀基地内の在日米海軍司令部(2018年現在)として使われています。

写真:(左)横須賀鎮守府庁舎(初代)、(右)横須賀鎮守府庁舎(2代目)

(以上横須賀市役所編纂)

画像出典:Wikipedia 現在は米海軍第7艦隊の指令部となっています。

歴史のある建物を外国の軍隊に接収されているのは、ちょっとな~と思いますが、現実に目を向ければ支那の脅威、朝鮮の脅威そしてロシアの脅威を考えれば最善の方法であるのでしょう。

ちなみに憲法9条は、日本をふたたび立ち上がらせないようにという連合国側の卑劣な仕掛けでした。憲法9条を護ろうという人達がいますが日本を葬り去ろうということですので、引っ掛からないようにしましょう。

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