台 湾 (その1)

08 4月 2018

1894年(明治27年)に日清戦争が大日本帝国の勝利で終戦となり、翌年の1895年4月17日に締結された下関条約(馬關條約)に基づいて台湾は清朝から大日本帝国に割譲され、それに伴い清国台湾省は設置から約10年という短期間で廃止されました。これ以降、台湾は大日本帝国の外地として大日本帝国台湾総督府の統治下に置かれることとなりました。2018年から遡ること僅か124年前のことです。2018年の今年は明治以来150年、僅か1世紀半です。

2011年東日本大震災発災(ほっさい)後、外国からたくさんのご支援金をいただきました。しかし、台湾からの援助金が一番多かったのです。しかし、南朝鮮からの義援金は僅かでした。いやいや出す位ならわたしたちはそんなもの欲しくはないです。同じ大日本帝国の統治下にあり、様々なインフラストラクチャーを建設してきましたが、台湾は感謝の気持ち、朝鮮は被害妄想(慰安婦・戦時徴用工など)だけ。民族の成熟度の違いと見るのは私だけでしょうか?

また、親日家として知られる李登輝元総統は3月12日に、日本語で「日本の皆様の不安や焦り、悲しみなどを思い、私は刃物で切り裂かれるような心の痛みを感じている」、「自然の猛威を前に決して運命だとあきらめず、元気と自信、勇気を奮い起こしてほしい」とのメッセージを寄せています。
物資支援として、発電機688台、毛布1,599箱、寝袋2,587箱、スリーピングマット236箱、衣類(防寒着等を含む)4,488箱、食品16.5トン及び9,444箱、ストーブ900台、マスク404箱、カイロ150箱、飲料870箱、手袋42箱、暖房器具53台、マットレス33箱、粉ミルク895箱、マフラー21箱、ナプキン10箱、枕16箱、キルト408箱、ティッシュ20箱、トイレットペーパー30箱、懐中電灯3箱、タオル48箱、納体袋24箱を宮城県、福島県、岩手県、新潟県、山梨県に提供しました。
2011年3月17日・18日には、チャリティー番組「相信希望 fight&smile」と「送愛到日本311震災募款晩會」(日本の311震災に愛を送る夕べ)が放送され、8億9000万台湾ドル(約24億3000万円)が集まりました。3月21日時点の義捐金の合計は15億台湾ドル(約41億円)以上に達し、4月1日には100億円を突破しました。これは同時期に米赤十字が発表した同国の金額を上回ります。4月15日には140億円を超え、世界各国中、最多となり、その後、200億円以上となりました。(以上Wikipediaより)

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わたしたちはこの台湾人からの友情を忘れません。

 

わたしたちは大日本帝国統治下で台湾に対し本当に良いことをしてきました。鉄道を敷設し、発電事業を行い、学校を造り、そして九州帝国大学よりも先に台北帝国大学を造るなど、教育とインフラの建設を行ってきました。そのとき建設した建物など台湾の人たちは大事に維持してきました。南朝鮮の人たちが同じように建設してきた建物を全て破壊してきたのと対照的です。

左:台湾総督府(1930年代(昭和5年-昭和14年)の総督府
石川欽一郎・画)右:台北帝国大学
(現在の国立台湾大学)校門

 

左:台南州庁舎(1916年完成)右:台北公会堂

 

 

 

 

 

 

 

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