高橋淳曹長の一式陸攻海面すれすれで雷撃セリ!

03 9月 2020

一式陸攻なんていうから陸軍機と思いきや海軍機でした。前回投稿の高橋淳さんが海軍時代に乗っていた機体です。

その一式陸攻とは:

仮称一式陸上攻撃機一三型(G4M1)

画像出典:Wikipedia

一式陸上攻撃機(いっしきりくじょうこうげきき / いちしき – )は大日本帝国海軍の陸上攻撃機である。略称は一式陸攻(いっしき / いちしきりくこう、- りっこう)。日本海軍の呼び名は中型攻撃機の略の、中攻。 アメリカ側のコードネームは「Betty」(ベティー)。(Betty bomberが、一式陸攻の米軍側の名称)三菱重工株式会社(改称前は三菱内燃機株式会社)の設計・製造。日中戦争、大東亜戦争(日米戦争)で日本海軍の主力攻撃機(爆撃・雷撃機)として使用された。

三菱 G4M 一式陸上攻撃機

仮称一式陸上攻撃機一三型(G4M1)仮称一式陸上攻撃機一三型(G4M1)

諸元[編集]

二二型(G4M2)の3面図

トラック諸島に沈む、一式陸上攻撃機

制式名称 仮称一式陸上攻撃機一三型 一式陸上攻撃機二二型 一式陸上攻撃機三四型
機体略号 G4M1 G4M2 G4M3
全幅 24.88m
全長 19.97m 19.63m 19.50m
全高(水平) 4.506m 6.000m
主翼面積 78.125m2
自重 6,741kg 8,050kg 8,391kg
過荷重重量 12,895kg 15,451kg 14,772kg
発動機 火星一五型(離昇1,460馬力) 火星二一型(離昇1,850馬力) 火星二五型(離昇1,850馬力)
最高速度 453.7km/h(高度4,200m)[注釈 1] 437.1km/h(高度4,600m)[注釈 1] 479.7km/h(高度5,066m)
実用上昇限度 9,660m 8,950m 9,026m
航続距離 2,176km(爆撃)/5,882km(偵察) 2,500km(爆撃)/6,060km(偵察) 4,334km(偵察)
爆装 60kg爆弾12発、250kg爆弾4発、
500kg又は800kg爆弾1発
雷装 800kg魚雷1発
武装 7.7mm旋回機銃4挺(前方・上方・側方)
20mm旋回機銃1挺(尾部)
7.7mm旋回機銃3挺(前方・側方)
20mm旋回機銃2挺(上方・尾部)
7.7mm旋回機銃1挺(前方)
20mm旋回機銃4挺(側方・上方・尾部)
乗員 7名(主/副操縦手、主/副偵察手、主/副通信手、搭乗整備員)

 

画像出典:Wikipedia

画像出典:Wikipedia

前回登場の高橋淳さんは大東亜戦争でこの機体に乗り、

憂国の魔窟/まつしたまさよの護国道まっしぐら

画像出典:Wikipedia 左側の海面すれすれを飛ぶ一式陸攻は高橋淳海軍飛行曹長。

太平洋で戦いました。

 

アメリカ側からはすぐ火がつくので「一式ライター(ワンショットライター)」と揶揄されました。

しかし、わたしたちのご先祖さまはこの機体で頑張ったのです。

損害(被撃墜)があまりに大きいので、インテグラルタンク(翼内タンク)主翼下部に分厚いゴムをはりつけ、エンジンに自動消火装置(CO²噴出)を取り付けた型がでましたが、戦況悪化、時すでに遅しでした。戦争末期には「搭乗員搭乗爆弾 桜花」を腹に抱く型式のものが開発されました。

現存している一式陸攻は、アメリカカリフォルニア州チノ空港に隣接するプレーン・オブ・フェイム航空博物館で展示されています。なお、この博物館では、オリジナル栄エンジンでの零戦21型をレストアし、日本で飛行展示したこともあります。

画像出典:Wikipedia

三菱製 1280号機、尾翼番号 ?-321
(龍を用いる台七六一海軍航空隊所属機と目されている)

わたしたちは、こういうご先祖様の偉業があって現在があると思わざるを得ません。

靖国神社に天皇陛下、総理大臣そして内閣閣僚がこぞって参内していただきたいです。

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